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高野山概要

概説 地名としての「高野山」は、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる1000m級の峰々に囲まれた標高800mの盆地状の平坦地の地域一帯の事であり、高野山という名称の単独の峰(山)は無い
また8つの峰々に囲まれているその地形は「蓮の花が開いたような」と形容されている

平安時代、弘仁7年(816年)に空海(弘法大師)が開創し、真言密教の修行道場であり全国に広がる高野山真言宗の総本山あり弘法大師入定信仰の聖地である

総本山金剛峯寺は、「一山境内地」といい明治以前は高野山全体が境内地であったが、明治期以降は「金剛峯寺」という寺号は、1つの寺院の名称になっている

「奥之院」と「壇上伽藍」を二大聖地とし、「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場が中心となり、子院117か寺が密集するる宗教都市を形成している

2004年(平成16年)7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されている
住所 和歌山県伊都郡高野町
創建 816年
駐車場 無料駐車場が、奥之院前の「中の橋駐車場」、「金剛峰寺前駐車場」があります。
ただ土曜、日曜、祝日は満車となる事が多いです。
交通機関 南海高野線終点極楽橋駅下車、南海高野山ケーブル高野山駅下車、バスで金剛峯寺や奥の院へ
曜祝日で観光客が多い時は、臨時バスが増発される事も多く、奥之院~檀上伽藍方面へは、片道はのんびりと歩いて回って、帰りはバスで移動するのもいいかもしれません。
 
また有料ですが自転車の貸し出しもあるので、時間、体力の節約もでき小回りもきき便利です。
電動自転車を借り、奥之院、女人堂、檀上伽藍と回りましたが、車では入れない狭い所や徒歩では断念する距離も気軽に回る事ができたので、お勧めです
公式HP 高野山真言宗 総本山金剛峯寺公式HP

大門

高野山の入口にそびえる、高野山全体の総門
1705年再建 国指定重要文化財

丹(に)塗りの二層の門で、高さは25.1メートルで、左右に金剛力士像が安置されています。
金剛力士像は高さが、5メートルを超え、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ国内二番目の大きさだそうです
大門の案内板
※クリックで大きな画像で見れます
堂々とした門構えです
高野山 大門 案内板 高野山大門
左側仁王像 右側仁王像
高野山大門 仁王像 高野山大門 仁王像

金剛峯寺概要

名称 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
概説 高野山真言宗の総本山
国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」や狩野派の襖絵など見どころが多数
拝観時間 8時30分~17時
拝観料 500円 茶菓子付
住所 〒648-0294和歌山県伊都郡高野町高野山132
電話 TEL : 0736-56-2011
公式HP 高野山真言宗 総本山金剛峯寺公式HP

正門

金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されている
昔、この門を出入りできたのは天皇、皇族、高野山の重職だけだったそう

鐘楼

金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼
構造形式から元治元年(1864年)に再建されたと考えられている
桁行三間、梁行二間、袴腰付入母屋造りの形式
金剛峯寺 正門 金剛峯寺 鐘楼
主殿
江戸末期文久3年(1863年)に再建
真ん中より左辺りにあるのが大玄関、
右端にあるのが小玄関
金剛峯寺 主殿 金剛峯寺 主殿

大玄関

金剛峯寺の表玄関になります
正門同様、この玄関を出入りできたのは天皇、皇族、高野山の重職だけだったそう

小玄関

こちらは上綱職(上位職)の僧侶が使用するそう
金剛峯寺 大玄関 金剛峯寺 小玄関
渡り廊下横にあった庭

蟠龍庭

弘法大師御入定1150年御遠忌大法会の際に造園され2,340平方メートルの石庭は日本最大級といわれる石庭の
金剛峯寺 庭 金剛峯寺

台所

江戸期以降、大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所
一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいます
金剛峯寺 金剛峯寺 台所
いい雰囲気 紅葉も美しいです
金剛峯寺 金剛峯寺

壇上伽藍(だんじょうがらん)

檀上伽藍は、奥ノ院とともに高野山の二大聖地の一つ

弘法大師空海が真言密教の根本道場を開くにあたり最初に整備に着手した場所で、曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、密教思想に基づく塔・堂が建立され、伽藍は胎蔵曼荼羅の世界を表しているといわれています

根本大塔(こんぽんだいとう)

現在の建物は、1937年に再建されたの物
高さ48.5m、幅23.5m
根本大塔の案内板
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根本大塔 根本大塔案内板
右下方に人が写っていますが、比較する事で大塔が巨大であると分かります 朱色がとても美しいです
根本大塔 根本大塔
紅葉時期の根本大塔 青空に映える根本大塔

金堂

金堂

高野山全体の総本堂にあたり高野山での主な宗教行事が行なわれています
現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成。梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りで、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で、建立されています
檀上伽藍 金堂 檀上伽藍 金堂

中門

中門

開創1200年を記念する主要事業として天保14(1843)年に焼失した壇上伽藍の中門を172年ぶりに再建
中門案内板
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檀上伽藍 中門 檀上伽藍 中門

六角経蔵

現在の建物は昭和9年1934年に再建された物
建物の下部全体に大きな輪があり、それを回すと摩尼車と同じ効果があるそう
六角経蔵の案内板
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六角経蔵 檀上伽藍 六角経蔵

御社(みやしろ)

文禄3年(1594年)の再建で重要文化財
弘法大師が弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました
御社と山王院案内板
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檀上伽藍 御社 檀上伽藍

山王院

文禄3年(1594年)の再建で重要文化財 ここで法会など行事が行われるそうです
檀上伽藍 山王院 山王院

孔雀堂

愛染堂

後鳥羽法皇の御願により正治2年(1200)に落慶し、仏師快慶作孔雀明王を安置
堂は昭和に焼け昭和59年(1984)に再建されたが、孔雀明王は重要文化財として現存する
後醍醐天皇の御願により建武元年(1334)に建立され、愛染明王護摩と長日護摩を行う所である。
現在の堂は文化13年(1816)の再建
檀上伽藍 孔雀堂 檀上伽藍 愛染堂

西塔

東塔

弘法大志の遺志にしたがって第二世真然大徳によって建立
現在の塔は天保5年(1834年)に再建され、高さ27.27メートル
大治2年(1127年)白河院の御願により創建
天保14年(1843年)に焼失し、140年たった昭和59年(1984年)に再建
檀上伽藍 西塔 檀上伽藍 東塔

奥の院

奥の院は、檀上伽藍とともに高野山の二大聖地の一つ

高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地
一の橋から御廟まで約2kmあり、樹齢千年程度の杉木立の中に、諸大名の墓石や、企業の祈念碑、慰霊碑が20万基以上あり、凄く神秘的
そのごく一部を載せています
奥之院の主要墓石等の案内図
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高野槙は、秋篠宮家に2006年9月6日に御誕生した悠仁親王のお印(皇族が身の回りの品などに用いるシンボルマーク)となりました
奥の院境内図 高野槙
日産自動車慰霊碑 福助慰霊碑
高野山 慰霊碑 奥之院 慰霊碑
麒麟ビール供養塔 ヤクルト慰霊塔
奥之院 慰霊碑 奥之院 慰霊碑
結城秀康石廊(徳川家康次男)墓所
重要文化財
豊臣家墓所
墓所全体を写せてないですが、かなり広いです
結城秀康 豊臣家墓所
織田信長墓所
豊臣家に比べ質素で、凄く小さかったのが意外でした
明智光秀墓所
織田信長墓所 明智光秀墓所
石田光成墓所 伊達政宗墓所
鳥居があります
石田光成墓所 伊達正宗墓所
水掛け地蔵様 御廟橋案内板
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奥之院 水掛け地蔵 奥之院 御廟橋
この御廟橋から先は脱帽、写真撮影禁止
この奥に弘法大師様が御入定されています
厳粛な気分になります
奥之院 御廟橋 奥之院 御廟橋

女人堂

過去に高野山には七つの登り口があり高野七口(こうやななくち)と言われていたそうです。
明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていて、そこから先への女性の立ち入りは禁じられていました。
現在の女人堂は高野山に唯一現存する物です
現在高野山に唯一現存する女人堂です。
本尊は大日如来
女人堂案内板
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高野山 女人堂 高野山 女人堂案内板

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